システム開発プロジェクトが予算オーバーする理由

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る

何故、システム開発プロジェクトはいつも予算オーバーしてしまうのか。

そもそもシステム開発に必要な費用にはどのようなものがあるのか?という点から考えてみた。

システム開発に必要な費用

システム開発に必要な費用を大ざっぱに分類すると、

  • システム全体の方向性を決定するための費用
  • アプリケーションを開発する費用
  • インフラを構築する費用
  • その他付帯作業にかかる費用
  • プロジェクトを管理する費用

の5つになる。

もちろん、他にも分類の仕方はある。例えば、イニシャルとランニング。あるいは作業費と外購費。はたまた開発工程別の費用など。今回は先にあげた5つの分類で整理してみる。

システム全体の方向性を決定するための費用

システム開発工程を、伝統的なV字モデルで説明すると、

  • システム企画構想
  • 要件定義
  • 基本設計
  • 詳細設計
  • 製造
  • 結合テスト
  • 総合テスト
  • 運用テスト

となる。

「システム全体の方向性」は「システム企画構想」フェーズであらかた決めておいて、「要件定義」フェーズで決定する。

「システム企画構想」と「要件定義」のフェーズで検討すべきことは(これまたざっくりだが)以下のように分類される。

  • 事業・業務の今後の姿、目指す姿(ビジネスモデルや業務フロー、ビジネスルール、組織体制など)
  • アプリケーションそのもの(システム機能やデータモデル、外部インターフェース。アプリケーション基盤や処理方式と、信頼性・性能・拡張性などの非機能)
  • インフラ(サーバー、ストレージ、ネットワーク、OS、ミドルウェア)
  • その他付帯(移行・展開の方針、運用・保守の方針、構成管理の方法や開発標準や開発規約)
  • プロジェクト管理(スコープ、時間、コスト、人的資源、コミュニケーション、課題、進捗)

特に、「事業・業務の今後の姿、目指す姿」は重要である。これこそが、多大な時間とお金をかけてシステム開発を行う目的となる(ところがここが曖昧なままのシステム開発プロジェクトも少なからず、ある)。

アプリケーションを開発する費用

上に書いた分類のうち、

  • アプリケーションそのもの(システム機能やデータモデル、外部インターフェース。アプリケーション基盤や処理方式と、信頼性・性能・拡張性などの非機能)

に該当する。「基本設計」「詳細設計」「製造」フェーズで具体化(具現化)し、「結合テスト」「総合テスト」「運用テスト」フェーズで狙い通りに具体化できているか確認する。

インフラを構築する費用

  • インフラ(サーバー、ストレージ、ネットワーク、OS、ミドルウェア)

に該当する。

「要件定義」フェーズ終了までにインフラ構成(サーバー台数、CPU,メモリ、ディスクボリューム、冗長化や負荷分散、アプリケーション機能配置やバックアップ方式など)はあらかた決まっており、「基本設計」フェーズ以降では、アプリケーション設計の内容と整合をとりながら、インフラ構築に向けた具体的な設計と、インフラ構築作業そのものを行う。

その他付帯作業にかかる費用

  • その他付帯(移行・展開の方針、運用・保守の方針、構成管理の方法や開発標準や開発規約)

「アプリケーション」や「インフラ」と同様に、「基本設計」フェーズ以降、徐々に具体化していく。構成管理や開発標準・開発規約はその方法を決定すること以上に徹底することが難しく、思いのほか手間暇がかかる。

プロジェクト管理にかかる費用

  • プロジェクト管理(スコープ、時間、コスト、人的資源、コミュニケーション、課題、進捗)

システム開発を趣味でやっているのであれば不要かもしれないが、ビジネスとしてやっている以上は避けて通れないし、プロジェクト管理の巧拙がプロジェクトの成否のカギを握っているということは珍しくない。重要なファクターである。

まれに、プロジェクト管理を単なる事務方作業のように捉えている人がいるが、それは、どちらかといえばPMOのイメージを持っているんだろうと思う。(PMOはPMOで高度な管理・調整能力が求められますので、いずれにせよ「単なる事務方作業」は誤った認識です)。

システム開発プロジェクトが予算オーバーする理由

システム開発プロジェクトが予算オーバーしてしまう理由には、「要件が変わった」とか「不測の事態が発生した」とかいろいろあろうかと思うが、それ以前に、見積対象の項目に漏れがあったという事が意外なほど多い。

具体的には、上にあげた5つの分類のうち、

  • アプリケーションを開発する費用
  • インフラを構築する費用

を除く、残りの3つ、

  • システム全体の方向性を決定するための費用
  • その他付帯作業にかかる費用
  • プロジェクトを管理する費用

について十分に見積もられていない(作業が発生することが予測・計画されていない)。

費用として見積もられていなくても、これらの作業は発生してしまうわけだから予算オーバーするのは当たり前であり、一言でいえば「見積が甘い」のである。

先ほども書いたが、予算がオーバーしてしまう理由は他にもたくさん考えられるだろう。であるのに、なぜこのような記事を書いたか?それは即効性の問題である。顧客要件をコントロールするのは困難なことだし、不測の事態に備えるにも限界はある。そもそも不測の事態が発生するかはわからない。

しかし、これまで見積対象が抜け落ちていた項目を見積もりに含めるだけならすぐにできる。もし、見積対象から漏れている項目があるのであれば今からでも遅くない。ぜひとも見積対象に含めてみて、これらの金額を含めて投資評価を行っていただきだい。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る

見積もりとは設計である

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る

ざっくりでいいから見積もってよ、と言われることがある。ざっくりと、つまり誤差があってもいいから費用を提示してくれということである。誤差を許容するから、なる早で見積もってくれという。

ところが、その、誤差があってもいいと言われた見積もりは、後から高くなることは許されない。ざっくりとはいえ一度提示している金額だから、安くなるならいいけど高くなるのはちょっと…という。

だからといって見積もりが高くなるのは好まれない。誤差を高い方にふっておけば後から安くもできるからいいではないか、思わなくもないが、ざっくり見積とはいえ高すぎる見積だと商談自体が無くなりかねない。

となると「ざっくりと見積って」も、ただ「見積もって」というのもあまり変わらない。何が違うのか。

それは前提条件だと思う。前提条件は設計行為を通じてやっと明らかにすることができる。

見積もる際「きっとこういう機能が必要になるに違いない。となるとこんなインターフェースが必要で、これくらいデータ量を扱うことになるだろう。となれば作るのにこれくらいの工数がかかるだろう。」というような事を考える。このときの想定した機能やインターフェースのイメージが前提条件となる。

ざっくりと見積もるというのは、顧客の話を満足に聞かないうちから見積もることでもある。顧客の話を十分に聞いていない状態で、想像力をフルに発揮して機能やインターフェースのイメージを造り上げる。そのようにして造り上げたイメージで見積もるのである。そしてこれらが見積の前提条件となる。

ここで「ざっくりと」という言葉がもつ意味は、「要件は不確かだけどいい感じに想定して」ということである。決して「適当に」とか「エイやで」とかいうことではないのである。

ざっくりと見積もるというとものすごく簡単に見積もっていいように聞こえるかもしれないが、実際のところは大変しんどい行為である。これまでの経験とイマジネーションをフルに発揮しなければならないのだから、下手をすると顧客要件が明確になっている状態で見積もるよりもしんどいかもしれない。

見積もりを依頼するほうも、受けるほうも軽々しく「ざっくりと」等という言葉を使ってはいけないのである。見積もりにざっくりはない。あるのは経験とイマジネーション(勘)から生み出される設計とその設計に基づいた緻密な計算である。

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る

システム開発投資における時間戦略

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る

システム開発投資で悩んでいる方はたくさんいらっしゃると思いますが、その悩みの内容は、最初の方は「とはいえ、そもそもどんなシステムが必要なのかうまく説明できない」であり、次に「社内の合意形成に時間がかかる」ということろでしょうか。

前者の悩みはITベンダーからの(有償・無償の)支援をうけることでなんとか解消されますが、後者は相手のある話しですからそう簡単にはいきません。

といいますか、悩むことがそもそも間違っていて、どうやっても時間がかかるものなのです。そこは悩んでも仕方がありません。時間がかかることを見越しておくしかありません。

検討に要する時間も開発に要する時間も同じ時間です。検討、というか、意志決定までにたっぷり時間を消費しておきながら、その分の遅れを開発で取り戻すべくやたら短い時間で開発させようとするケースがあります。たいていはロクなことになりません。

意志決定の立場にある方は、迅速な開発を求めるばかりでなく、迅速な意志決定が可能な仕組み・仕掛けを施しておかなければなりません。

システム開発投資における時間戦略はそこ(検討と意志決定)から始まっていると知るべきです。

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る

【Disc】A Reality Tour/デヴィッド・ボウイ

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る

デヴィッド・ボウイが亡くなってから丸2年が経過してしまった。訃報を聞いたときはそりゃあショックでした。何せ中学生の頃から30年近く聴いていたわけですから。亡くなった当時は、みんな(といってもネット上のみんな。身近な人でボウイロスに陥っている人はいなかった)気が動転していて、ボウイは星(ラストアルバム★ Black Starにかけている)になったとか、宇宙に帰った(1974年の超名盤Ziggy Stardustの設定にちなんでいる)とかいろいろ言ってました。そういうことでもいわなきゃ、何か落ち着かないムードがあの時、確かにありました。

そんなボウイロスからも立ち直った現在。友人から「ボウイのアルバムから1枚オススメを教えてくれ」と言われました。さて困った。贔屓のミュージシャンがいる人なら一度は体験するアレです。

これまでの経験から言えるのは、「選ぶなら自分で調べて選ぶべし」ということです。自分で調べてジャケットを眺めて曲名を味わって、どんな音楽体験が待っているか想像し、悩んで悩んで悩んだ末に選んだアルバムであるなら、たとえイマイチな内容であっても愛着がわくってものです。

選ぶまでの時間がコスト(サンクコスト)となり、それだけのコストをかけて選んだのだからよくないはずがないというバイアスが働いているんだとは思うのですが、私たちの世代のアルバム選びとはそういうものだった気がしますYoutubeやSpotifyでさくっと視聴できたりしませんでしたからね。アルバム選びは乾坤一擲の一撃を打ち込むつもりでやってました。

そんなわけで「自分で選ぶべし」と言いたいところですが、実際のところそういうわけにもなかなかいきませんから一枚選んでみました。

こちらです。

A Reality Tour

最後のライブツアーからのライブ音源です。

これを選んだ最大の理由は、大復活前(つまりThe Next Dayをリリースする前)までのオールキャリアからのベストアルバム的選曲になっていることでも、録音がいいことでも演奏がいいことでも、輸入盤だと安価なことでもありません。

Bowieがものすごく音楽を楽しんでいる(ように私には見える)からです。

Bowieがロックに与えた影響とか成し遂げた偉業とか、難しいことを言えばたくさん言えそうですが、亡くなってしまった今、同Tourの映像(こちらはYoutube上で一部視聴できます)を改めて観てみると・・・

なんとも音楽を楽しんでいるではないですか。

このときの音源を真空パックしたライブアルバムが、A Reality Tourです。純粋に音楽を楽しんでいるこの音こそ、Bowieははじめてって人に聴いてほしいな、と思ったのでした。

最後に、この曲を貼っておきます。

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る

【Disc】至上の愛/ジョン・コルトレーン

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る

ジョン・コルトレーンの1965年(録音は1964年)のアルバム。ジャズの世界では超メジャーなアルバムです。もう語りつくされているのでしょうが、つい最近ジャズをききはじめた私が、これまでロックばかり聴いていた私がこの偉大なアルバムについて少しだけ触れてみたいと思います。

そもそもジョン・コルトレーンに興味をもつきっかけとなった曲は、Moment’s Noticeという曲なんですが、なんともいえないまばゆい青春のきらめきを放っている名曲です。この曲が発表された当時(1957年)、若者たちはこの曲に、ジャズに夢中になっていた・・・と伝え聞きました。それもわかります。すごくキャッチーな曲です。コルトレーンのテナーサックスも吼えています。

それから10年たらず後に発表されたアルバムが今回紹介するアルバム「至上の愛(A Love Supreme)」です。上で紹介したMoment’s Noticeとは全然違います。1曲が1曲が長いし。組曲なんですね。テーマも重い。くわしいことは知りませんが、コルトレーンの宗教的観念が全面にでたようです。コルトレーンは来日した時のインタヴューで「聖人になりたい(I would like to be a saint)」と言い放った人ですからね。宗教的なアルバムがでてもおかしくありません。

しかし私がこのアルバムに惹かれるのは、そういった理屈を抜きにして、サウンドがもの凄いことになっているからです。はじめて聴いたときは、1曲目の「ア、ラーブ、シュプリーム」という唱和(チャント)の印象がやたら強かったのですが、聴きこめば聴きこむほど、「これはよく構成されたアルバムだな、これはプログレだな」と思ったものです。

このアルバムには、通常盤に、ライブ+別テイク盤を加えた2枚組のデラックスエディションが存在するのですが、これがまた素晴らしいのです。ライブ盤なんて完全にプログレだと思うのです。主役がギターからサックスになっているだけでやっていることはプログレ的だなと思ったものです。組曲にしているくらいですからクラシカルな風味もあり、しかし(特にライブ盤は)ブラックミュージック独特のファンキーなリズムもあり、しかし、どこからどうみてもジャズだというアルバムです。

マイルス・ディヴィスの「KIND OF BLUE」とともにジャズの超名盤として語られることが多いようです。私はもちろん「KIND OF BLUE」も愛聴しています。「KIND OF BLUE」のクールな雰囲気も最高ですが、「至上の愛」がもつ、少しづつ違う世界にとんでいくような、狂気を思わせる楽曲、雰囲気もまた最高です。

このエントリーをはてなブックマークに追加
Facebook にシェア
Pocket
LINEで送る