レンガ積みの男の話から本当に学ぶべきこと

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レンガを積む男たち

自分を含め、多くの方は(多かれ少なかれ)生きるために働いていますが、長く働いていると、ふと「何のために働いているんだろう」と考えてしまうことがあります。自分の仕事に何か意味を見出したい、と思うようになります。

有名な「レンガ積みの男」の話があります。

何をしているのか?と問われ、
一人目の男は、レンガを積んでいると言い、
二人目の男は、壁を作っていると言い、
三人目の男は、大聖堂を作っていると言います。

時々、働き方に関する記事なんかでこの逸話が紹介されますが、一様に、「大聖堂を作る、というような高い視点をもって仕事に望むべし」という論調が展開されます。

個人的には、このように、なんでもかんでも同じトーンで、皆が大聖堂を作るんだ!という視点をもつべきだ、という主張には違和感を感じます。

エンジニアたち

例えば、SIerで働くエンジニアがいるとしましょう。

そのエンジニアに「何をしているのか?」と問うた時に、

一人目の男が、コードを書いていると言い、
二人目の男が、プログラムを作っていると言い、
三人目の男が、システムを作っていると言い、
四人目の男が、顧客業務を良くしようとしていると言い、
五人目の男が、日本経済を良くしようとしていると言い
六人目の男が、世界を救っていると言ったとします。

「コーディングを通じて世界を救う」と書くと、なんだか凄いことのようにみえますし、そのような高い志を持つことは決して否定されることでもないと思います。

ところが、ですね。

全員が「世界を救う」ことばかり考えているとしたら、端からみている方としては甚だ不安になりませんか?

世界ね、世界もいいけど、まずは目の前のコードに集中してくれないかな?

とは思いませんか?

私はそう思います。

目線の高さよりも大事なもの

一人目の男は、大聖堂を作っていると言い、
二人目の男も、大聖堂を作っていると言い、
三人目の男も、大聖堂を作っていると言ったとします。
私ならこのチームに大聖堂作りはお願いしないと思います。

一人目の男は、レンガを積んでいると言い、
二人目の男も、レンガを積んでいると言い、
三人目の男も、レンガを積んでいると言ったとします。
こちらのチームの願い下げです。

それよりも、
一人目の男は、レンガを積んでいると言い、
二人目の男は、壁を作っていると言い、
三人目の男は、大聖堂を作っている、
と言ってくれるチームのほうが安心できませんか?

チームなら役割分担やチームバランス、個人なら、高い視点を持つことよりも、自在に視点移動できることのほうが大事なんではないかと思います。

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