コップの水理論と喜怒哀楽

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期待という厄介な概念

人間は本当に都合のよい生き物で、自分の期待通りに事が運べば何も言いませんが、期待にそぐわない場合は不愉快に感じます。

その「期待」というヤツがやっかいで、ただ心の中でだけ思っているだけだろうが無意識だろうが関係ありません。「期待」は「期待」であり、その「期待」を下回ると不愉快に感じるのです。

コップの水理論

「不愉快」は、蓄積されると「怒り」に変化します。

人間の負の感情を説明する「コップの水理論」というものがありますが、蓄積された「不愉快」は、いつかコップの容量を超えて、「怒り」としてあふれ出します。

みなさんにも「そんな些細なことで怒らなくたっていいじゃないか」と思った事があると思います。

これは、その「些細なこと」で怒っているんじゃないんです。その「些細なこと」は運悪く、表面張力によってギリギリまで盛り上がった水面に飛び込んでしまっただけなのです。

怒りをコントロールする?

この「期待」と「コップの水」をコントロールするのはほとんど不可能です。

「無意識の期待」は、無意識であるが故にコントロールできません。

「こまめに小さく怒る」ことでコップ水を一杯にしないというテクニックを耳しますが、個人的にはそんな器用なことはできそうにありません。

そう考えると、人は怒ったり怒られたりして当たり前の生き物なんだと思います。

感情は喜怒哀楽で1セット

できれば”怒”の感情は避けたいところです。しかし、上述した通り”怒”はコントロールできません。

となると、これはもう「うまく付き合っていく」しかありません。

感情のないロボットみたいな人になれば”怒”はありませんが、そんな人生、考えただけでぞっとします。

そう考えると、”怒”の感情だけ取り出して議論することがそもそも誤っているように思えてきました。

感情は、”喜怒哀楽”でワンセットなのであって、”怒”があれば”喜”もある。それらをトータルで考えないと意味がないような気がしてきました。

怒りを減らす努力よりも、喜びを増やす努力のほうがいいとは思いませんか?

生きてれば、腹の立つこともありますが、同時にうれしいことや楽しいこともあります。それらをまるごと抱えるというスタンスが重要なように思えます。

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