昼もなく夜もなく働くということ

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夜もなく昼もなく働くという選択肢

一生のうちに、昼もなく夜もなく働く時代があってもいいとは思います。肉体的にも精神的にも、自分がどこまでやれるか、把握しておくことができるからです。また、そういう働き方を通じてどれだけのものを得ることができるかも体感できます。

選択肢の一つとして、例えば、夜通し働くとか、一週間会社に泊まり込みで働くといったことが追加されるわけです。

実際に選択するかどうかは別として、選択肢が多くて助かることはあれど、困ることはさほどありません。

効率は、、、悪いです

何度かぶっ続けで働いたことのある人ならおわかりかと思いますが、徹夜にせよ泊まり込みにせよ、これらは効率のよい働き方ではありません。

個々人の体力とか気合いのノリ、仕事の内容にもよりますが、時間の使い方としては上策ではありません。大抵は仕事の効率も質も落ちるものです。

それでも尚、一度はそういうことをやってもいいと思います。理由は先に述べた通りです。

社畜にならない

但し、このような事は自分のためにやって欲しいと思います。

納期が迫っているから徹夜する、原価悪化を緩和したいから持ち帰ってサビ残する、というのは不健全すぎるし、努力の方向を誤っていると言わざるをえません。

今晩徹夜して納期に間に合うならたまにはそれもいいでしょう。しかし、毎日のように徹夜して間に合うかどうか、というのはそもそも計画が破綻しています。徹夜ではなく、応援を依頼するとか分担を見直すとかリスケするとかしなければなりません。

今晩、無償無給で働けば(サビ残)すれば原価悪化を免れる。そうだとしてもやるべきではありません。

それくらい(一晩の徹夜)の原価を許容できない組織はまずありません。

そもそもサビ残は、原価計上の実態が歪められ、組織の実力がわからなくなります。

もし原価悪化に責任を感じているのならきちんと原価計上して責任を負うべきです(通常、プロジェクトの原価責任は一担当者にはありませんが)。

ここのところは会社というムラ組織の圧力もあることでしょう。簡単に論ずることはできませんが、このように考えるべきです。

計算尽くでやる

一見、無茶な働き方であっても、計算尽くでやることです。裏目にでても代替案があるとか、短期的なリターンはなくとも長い目で見ると得るものがあるとか、そういうことを考えてやるべきです。

周りもがんばっている。俺(私)だって…と闇雲に走りだすと、仕事の渦に飲み込まれ、一体全体、何のためにがんばっているのかわからなくなることがあります。

無茶をするにしても、周りに流されず自分という軸をもって無茶をすること。計算尽くでやること。これが大事です。

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